Messageメッセージ

Start Spirit創業の精神

昭和42年の8月の暑い日、創業者である織田廣はいつもと同じようにスクーターにまたがり、早朝に家を出て現場に向かった。引き渡し間近の工事現場(下水処理場新築工事)を担当していた廣は、技術屋としてやる気に満ちた働き盛りの32歳だった。その日はコンクリート打接工事という工程上重要な日で、いつもより気持ちが急いていた。
現場に近づき、少しずつ現場のことが気になり出した。交差点にさしかかり、右折すれば現場まで目と鼻の先というところで、直進してくる車に気がつかずスクーターごと跳ね飛ばされてしまったのである。左足首複雑骨折!それから一生左足をかばう生活を余儀なくされてしまった。
自宅で療養中、悶々としていた廣は独立を決意。現場を元気に走り回ることの出来ない足を抱え、建築設計事務所として開業することにした。昭和42年8月の1日のことだった。
ところが当時は有名な設計事務所でもない限り、建築設計だけを注文してくれるお客様は少なく、事務所を構えているだけでは注文など来る筈も無いという状況だったという。半年間ろくな仕事にもありつけず路頭に迷った廣は、親類縁者を頼り家や会社の修繕仕事をやらせていただく事で生計を立てるように軌道修正を図った。結局、今まで経験を積んできた建築の請負をやろうと決意し、翌年の2月15日に株式会社織田工務店を設立したのである。
ラガーマン織田廣の創業の精神は、≪ワンオブオール、オールオブワン≫とにかく「みんなに食べさせてもらっているんだ、曲がったことはするな!」が口癖だった。事故で左足が自由に利かなくなったことで、やむを得ず家族を養うために選んだ創業という道だったのかもしれない。しかし、その創業時の苦しさの中から得た創業者 織田廣のおもい「感謝の気持ちや、誠実さ、気概」は、今でも受け継いでいる。
そしてその後、持ち前の根性と努力により設立2年目には3億を売り上げ、周囲を驚かせたという。以来、肝臓がんで他界する56歳までの22年間、順調に業績を伸ばし業界や地域の方々に愛され、影響力を残し次世代へとバトンタッチしていった。
創業時の止むにやまれぬ状況で立ち上げた創業時の精神は、現在の織田工務店にその歴史と共に一人ひとりの心の中で受け継がれていると確信している。

Guidelines2.仕事の指針

01

わが社の仕事観

仕事とは、与えられるものではなく自分から『創る』ものです。
私は常に仕事を創り出します。
『恒産無くして恒心得ず』私は物を創りだす事に最大の喜びを感じ、その事で正しい心を養います。
悩んだら、損得でなく善悪で物事を判断します。
私は常に『難しい仕事』にチャレンジします。そしてその難しい仕事をどれだけ成し遂げるかで、自らの成長が決まります。
変革の能動者たらんとする技術者を目指します。技術革新無くして、お客様の満足は得られません。
『人生目標』を持ちます。人生目標を掲げれば、仕事の目標も明確になります。
『綿密な計画』を立てます。計画どおりに進めれば、創意工夫が生まれやりがいが出てきます。
何事も『自信』を持って事に当たります。自信があれば、粘り強く根気強く仕事が出来ます。
頭は常に『フル回転』、四方八方に気を配り、常に相手の立場で物事を考えます。
私は『摩擦』を恐れず、積極的、肯定的、ただひたすら前向きに挑戦しつづけます。

02

社長のミッションステートメント(使命)

社長の使命宣言
お客様に喜ばれることを第一義に考え、お客様や社会に支持される商品・技術を企画し提供し続けます。
社員さんの物心両面にわたる豊かさを実現します。
「強くてよい会社づくり」を目指し、経営の再構築と経営革新に全力で勤めます。
経営の安定化を第一に考え、無借金経営を目指します。
「私心」と闘い、社員さんやお客様に尊敬される立派な人間になるために常に自己研鑽を怠りません。私たちは、仕事を通して地域社会に貢献するため、常に環境整備を実践します。
社員さんが、お客様や社会で必要とされる人財になるよう、社員教育に日々努めます。